FPSじゃなく「SPS(セカンド・パーソン・シューティング)」というゲームを考えてみた

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僕は「FPS(ファースト・パーソン・シューティング)」というゲームが大好きだ。
最近では「Black ops4」や「Rainbow six siege」というゲームにハマっている。
というわけで今回は、「SPS(セカンド・パーソン・シューティング)」という禁断の領域に踏み入ってみる。

FPSやTPSについて

FPSは、「一人称視点(First person shooting)」のゲームを指し、文字通り「キャラクター視点」でゲームを進める。

TPSは「三人称視点(Third person shooting)」のゲームを指し、いわゆる「神目線」でのゲームのことである。
つまりプレイアブルキャラクターの後方にカメラがあり、キャラクターの背中を見るような視点だ。

見ての通り世の中には「一人称視点」か「三人称視点」のゲームしか存在せず、「二人称視点(Second person)」のゲームは存在しない
だから「SPS」というゲームを考えてみた。

「二人称視点」という「敵目線」のゲーム

一応説明しておくが、「FPS」も「TPS」もどちらも最後に「Shooting」と付いているので、「シューティングゲーム」を前提としてる
だから「SPS」もシューティングを前提とする。

さて「敵目線」のゲームだが、プレイヤーは「敵」の目に映る映像を見る為、一見すると「FPS」と大差ない
しかしその視点を持つキャラクターを操作することはできず、操作をするのは飽くまで「この視点を持つキャラを殺しに来る奴」だ。

凄く分かりにくいのでマリオで説明する。

マリオで言うと「クリボー」の目線である。
でもステージをトコトコと歩き続けるクリボーを操作することは出来ず、そのクリボーの視界にいる「マリオ」を操作することになる。

そしてそのマリオを自分に近付け、適切なタイミングでジャンプさせ、自分を殺させる。

そう。SPSとは「自分を殺させる」という自殺志願者が喜ぶゲームなのだ。

操作はもちろん左右逆転

FPSを軸として考えるならば、プレイヤーは基本的に敵と向かい合っている。
そしてその向かい合った状態で撃ち合うので、当然だがプレイヤーがアナログスティックを右に倒したら、弾丸は左側に飛ぶ

最初は操作にめちゃくちゃ戸惑うだろう。
いわゆる「ラジコン操作」だ。

初期のバイオハザードが正にこの「ラジコン操作」であった為、キャラクターがカメラ(こちら)を向いている状態であれば操作が難しかった。
でもキャラクターがカメラに背中を向けている状態であれば、「右キーを押したらキャラクターも右を向く」という分かりやすい操作であるため、割と直感的に操作しやすい。

そんなわけで「SPS」は、熟練したゲーマーでも難しい「意味不明な操作」が必要となる革新的なゲームだ。

基本は「自分を殺せ!」の繰り返し

FPSは基本的に大量の雑魚敵をなぎ倒していくゲームだ。

さすがに「そのステージの最初から最後まで一人の雑魚敵目線」だと、そもそもゲームを完遂するのが難しい
だってその雑魚敵を殺してしまうと、後はそいつの死後の世界を見る事になり、実際にプレイするキャラクターは別次元にいるというミステリアスな状況となる。

 

だからせめて「敵の目線を切り替えられる」という仕組みは必要だ。

そしてそのシステムが導入されれば、ゲーム開始直後、プレイヤーは「敵の切り替え」を行うことで、まず敵の人数を把握することが出来る。
頑張れば敵の居場所を把握することも出来るが、方向感覚が優れていないとそれは難しい。

「敵Aの視点では、画面右側に赤いビルがある」
「敵Bの視点では、画面左側に赤いビルがある」

こういう事実を基に敵の位置関係を把握していく。

そしてそれぞれの視点を見ながら主人公を動かし、自分(敵)を殺させる。

もはや「自分」がどっちなのか分からなくなりそうだが、「そもそも“自分”ってなんだ?」という哲学的な側面も持つ「SPS」は、意外と戦略性もあり面白いのではなかろうか。

「マルチプレイ」はきっと地獄と化す

「FPS」と言えばやはりオンライン対戦だろう。

6vs6での殺し合い。
もちろん全プレイヤー敵目線

お互い相手の視界をハックした状態でゲームがスタートする。
つまり自分が観ているキャラクターは、敵プレイヤーが操作している

だから敵がガムシャラにアナログスティックを操作したら、こちらの視界はグワングワン揺れ恐らく3D酔いを引き起こす。

 

一応仕組みを決めておくとするならば、6vs6といえど、視点を渡すのは「お互い」に限定しておこう。

分かりやすく説明する。
まず以下のチーム構成が存在する。

チームA チームB
Player-mikan1
Player-mikan2
Player-mikan3
Player-mikan4
Player-mikan5
Player-mikan6
Player-ringo1
Player-ringo2
Player-ringo3
Player-ringo4
Player-ringo5
Player-ringo6

※「Player…」はそれぞれのアカウント名

そして彼らの視界は、それぞれ互いに渡す。

Player-mikan1← →Player-ringo1
Player-mikan2← →Player-ringo2
Player-mikan3← →Player-ringo3
Player-mikan4← →Player-ringo4
Player-mikan5← →Player-ringo5
Player-mikan6← →Player-ringo6

つまり「Player-mikan1」は「Player-ringo1」の視界しか見れないし、「Player-ringo1」も「Player-mikan1」の視界しか見れない

これで何が起こるか説明する。

プレイヤーは、敵の目線を見ながら頑張って頑張ってしどろもどろになりながら自分のキャラクターを敵に近づけていく。
そして見事敵の視界に「自分」を入れたら、エイムを合わせる為に銃を撃ってその射線を確認する。

その射線をゆっくりズラし、徐々に徐々に「敵」に合わせていく。

もちろん「敵プレイヤー」は「自分の画面のキャラがもう少しで“自分”を殺しそう」と分かるので、そうなるとわざと画面を揺らし状況をリセットする。

結果的にほぼ誰も死なない
なんと平和なゲームだろうか。

まとめ:「SPS」はクソゲーになる可能性を秘めている

 

キングコングの西野亮廣がこう言っていた。

「絵本を作っている時、“なぜ誰も分業制で絵本を作らないのだろうか?”と考えた。絵本も映画みたいに“脚本を作る人”、“空を描く人”、“キャラクターを描く人”のように分業制で行えば、きっともっと素晴らしい作品が出来上がるのに。」と。

西野さんは続けて、「でもこのアイディアは誰でも思いつく。大事なのは“なぜそれを誰もやっていないのか?”であり、その答えは“絵本はマイナーな市場なのでそこまでの製作費を費やせない”ということだった」と言っていた。

そして今回僕は、「FPSとTPSはあるのに、なぜSPSは無いのだろうか」と考えた。
そしてその答えは、「FPSとTPSはあるのに、なぜS・・・」と自問してる途中くらいに気付いた。

SPSというゲームは、単純にクソムシレベルのゴミゲーだからだ。

まず「ゲーム」として大事な「爽快感」がみじんも感じられない。

「自分を殺させるゲーム」とか暗過ぎる。
きっと自殺志願者ですら「こういう事じゃないんだよな」と言うに違いない。

だから「ちょっと俺SPSゲーを作ってみようと思う」と宣言する奴がいたら、僕は全力で止めなければならない。