ゲームやって感情的になるバカみたいな人間がいるけど、僕です。
「うおーー!!今のでやられるとか敵プレイヤーなんぼほど上手いねん!」とキレます。
めっちゃ楽しんでるなー。— 散歩家 ぱっかん (@pakkan316) 2019年4月28日
「ゲームでイラつく」
この症状に悩まされる人はきっと多いと思う。
僕も実際にそうだ。
僕がハマるのは「FPS」という対戦形式のシューターなので、時折、自分の戦略がハマらず感情的になってしまうことがある。
実は昨日からその現象が激しく、ついイラついてしまう事が増えたので、自分が以前より実践してた「ゲームでムカついた時の対処法」を久しぶりに思い出してみた。
「対処法」と呼ぶほど大袈裟なものでは無いのだが、久しぶりに思い出したのでとりあえず紹介してみる。
ゲームでイラつくということ
「ゲームは楽しむためのものなのに、それでイラついてるとか訳わからん。ゲーム辞めればいいのに。」
そもそも日本における「ゲーム」とは、「大人になってもやってるとかあり得ない」と言われる類のレクリエーションである。
「趣味はゲームです。」なんて言うと、「精神面が成熟しきってない子供なんだろうな」という印象さえ与えてしまう。
とりあえずこの点については今回は触れないが、ただでさえ幼稚な印象のあるゲームで感情的になるのは、確かに精神面で成熟してない気がする。(※結局最後に触れてます)
実際にそうかもしれない。
でも我々は「大人」になってから、ガチで怒ることはあまり無い。
それは賢いからというのもあるが、「理性」で押さえつけているからでもある。(もちろん“怒らない”というのは、素晴らしい選択肢である)
しかし「本気になれていない」から感情的になれない、という動機もあるかもしれない。
例えば仕事では、誰だってイラっとする場面は大いにある。
でも声を大にしてキーキー喚く大人は少ない。
それだけ仕事に距離を置いているとも取れる。
「いやいや、俺は仕事が大好きだけど、キレたら信頼を失うから冷静を保ってるだけだよ。」
という素晴らしい大人も数多くいるだろう。
この哲学は常識的なものだが、知らず知らずのうちに、その内側で「キチゲ(キチ〇イゲージ)」が溜まってる人も多いだろう。
実は僕もそんな感じなのだが、であればどこかで「キチゲ」を解放する必要があるのでは無いだろうか。
ゲームは気軽な「対戦」であり「勝負」である
僕たちは「ゲーム」を通して「勝負」をしている。
そこには「無趣味だからせめてゲームをやってる」というような不純な動機はなく、「ゲームが好き」という純粋な理由一つでここまでハマり込んでいる。
ゲームは「楽しいだけのレクリエーション」では無い。
テニスやサッカーなどの対戦系スポーツと同じで、「勝負」の一種だと認識している。
だから我々はゲームに本気になれるのだ。
そして「本気 vs 本気」同士のぶつかり合いなのだから、当然感情的にもなる。
「ゲームでイラつくとかマジ幼稚」と言われがちだが、僕たちは、中々ガチになる人が少ないこの平凡な世界で、日々「ガチ」を体感しているのだ。
「上手くいかなくてイラつくという事は、それだけ好きなことに対し真摯に向き合っている。」
この事実をまずは喜ぼう。
「ムカつける」という事を喜ぶ
僕たちは日々何かしらでイラつくが、それを理性で押し殺している。
しかしゲームともなると、基本一人なので、「うぉー!!!!!」と雄叫びを上げたり、人によっては八つ当たりなどでイライラを発散する。
「八つ当たり」はどうかと思うが、こういう風に「ムカつける」という事実は、非常に健康的なものだと思う。
「怒り」は決して建設的な感情では無いが、必ずしもネガティブな感情でも無い。
「なんで今のがハマらなかったんだ」と激オコ状態となり、しばらくカッとなることもあるだろう。
しかしその感情は一過性のモノなので、その時に枕に顔を押し付けて叫んだり、思いっきり拳を握り発散すれば、その後はむしろ心地良いカタルシスが溢れ出るのを感じる。
これは「自傷行為」の一種ではあるが、人は「喫煙」「衝動買い」「飲酒」「暴飲暴食」など、あらゆる形で日常的に自傷行為を行っている。
こうやって「キチゲ」を開放できるのであれば、「ゲームで感情的になる」のはそう悪い事では無いと思っている。
「感情的な自分」を認めてあげよう
僕は映画を観て良く泣くタイプだが、涙を思い切り流した後は体が軽くなるのを感じる。
とてもスッキリし、「何かを開放した」という幸福感が沸き起こる。
これは「ゲームで全然ハマらず、ムカついて枕に顔を押し付けて叫んだ後」でも同じような感情になれる。(ちなみにこれが僕の“キチゲ解放”の方法です)
今思い返してみてもこれは幼稚な行動ではあるが、やはり日常生活では「理性」を持って行動しているので、たまに感情的な面を出すことでスッキリするのだろう。
個人的に、これは本当に素晴らしいことだと思う。
人は日々「どうすれば怒らずに済むか?」を考えて行動しており、そのせいで物事に対し距離を置いて接しがちだ。
しかし「ゲームでイラつく」という事は、
・自分が本気で取り組んでいる
・自分が人間として正常な感情を持ち合わせている
という2つの喜ばしい条件をクリアしているという事に他ならない。
だから、「ゲームにイラつく自分」に嫌悪感を抱く必要は無い。
ちゃんとリフレッシュしたら成長するはずなので、出来るだけ周りに迷惑をかけずに発散し、立て直しを図ろう。
発散した後、確実に上達する。
僕たちは怒れる程真剣にゲームに向き合っている。
「怒」という字にあえて「イカ」というルビを振ったが、文字通り「イカれる」という呼び方でも良いかもしれない。(発散してる時は実際にヤバイ奴に見える)
人は基本的に「自分が否定された時」に怒りを感じる。
ゲームでイラつくのは、「自分の戦略・テクニックがハマらなかった」とかそういう時だ。
そしてイラついて、発散し、またしばらくしてゲームに取り組んだとする。
僕たちは無意識のうちに学習するので、今度は何故か上手く行くようになる。
冷静に分析できる人ならば、凡人よりもはるかに上達する。
そしてよりゲームが好きになる。
ゲーマーは日常的にも「トライ&エラー」でのコツの掴み方が上手いと聞いたことがあるが、これだけ失敗を繰り返してたらそりゃ上手くなるはずだ。
言うまでも無いが、ゲームに真剣に向き合うのは良いことだ
う~ん。迷ったが改めてツッコんでおく。
ゲームは「生産性が無い」という理由で毛嫌いされがちな趣味だ。
だから「上達したところで何にもならないでしょ」と彼女や妻に言われるかもしれない。
僕はもう、そういう論争にはウンザリしている。
僕たちは子供の頃、意味が分からないモノにハマっていた。
例えば僕は、部屋に敷いてあるゴザを寄せてシワを作り、それをジャンプ台に見立て、チョロ級をジャンプさせることにハマっていた。
何度も試行錯誤を繰り返し「どういうシワの作り方をすればチョロ級がキレイにジャンプするか」を研究した。
そしてそれは凄く楽しく、何時間も没頭できた。
さて、上記の回想を読んで「それの何が楽しいんだ」と思った人は大勢いるだろう。
このように「何が楽しいか」は一人ひとり違う。
だから「社会的に意味がある事を趣味にしないと、何の価値も無い」という人の考えは放っておこう。
人生は「自分の幸せ」が最も大事なのに、「社会性」を意識するあまり「ゲーム」や「娯楽」を軽視しがち。
無論「自分の人生を昇華させる為の勉強」も重要だが、自動車学校で習うように「あそび」が無いと人(ブレーキ)は壊れてしまう。
僕たちは、Youtuber等では無い限り、一銭の価値にもならない事に心から真剣に向き合っている。
何にも真剣になれない人に、何を言われたって気にすることは無い。
FPSなどの対戦ゲームで激しくイラついた時の対処法:まとめ
・「対処法」は、ただ「発散する」だけ。
・ゲームでイラつくのは、それだけ本気で向き合っている証拠。
・真剣に向き合える趣味を持っている事を喜ぼう。
・大人な僕たちはあまり感情的にならないので、こうやって健康的に怒れる事を喜ぼう。
・「怒り」は確かにネガティブな感情だが、発散すればスッキリし、怒る前より身体が軽くなる。だからちゃんと発散しよう。
・スッキリして冷静になれば、今度は間違いなく上達する。この時の成長こそゲームの醍醐味。
・【注意】発散する際、周りや未来の自分に迷惑がかからないようにしよう。
思いの外記事が膨らんでしまいました。
「ゲームでイラついた時」に対して、皆さんがどういうスタンスで接しているかお聞きしたいです。
何かあれば是非コメントください。
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