「ゲームは時間の無駄」という視野が狭い考えは、当の昔に捨てた

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「ソシャゲに課金するとか意味が分からない」
「ゲームは時間の無駄」

稀にこういう事を言う人が居ますが(以前の自分)、今回は、「ゲームは時間の無駄」とは真逆の哲学を持つ僕が、「ゲームは決して時間の無駄では無い」という理由をひたすら書いていこうと思います。

まず、「ゲームは時間の無駄」と言われる4つの理由

無駄と言われる理由①テニスなどのスポーツと違って、そのゲームは10年後には存在しない

例えばテニスや水泳などの競技性の高いものを極めるのであれば、それは10年後もきっと存在しているので永続的に役に立つ。
でもゲームを極めたところで、そのタイトルはたぶん数年後にはオワコンになっている。

無駄と言われる理由②所詮バーチャルの世界

どのゲームも所詮現実では無い。
誰かが作り上げたバーチャルの世界に時間を費やしても、自分自身は成長しないし、現実では何も変わらない。

無駄と言われる理由③外的な接触が無い(一人で完結する)

人は基本的に、他者に貢献する為に生きている。
でもゲームは、最初から最後まで「自分」の為だけにプレイしている。
完全に孤独なこの世界では、他者への影響がほぼゼロ。
※オンライン含めても“他人に貢献してる”とは言い難い

無駄と言われる理由④建設的、生産的では無い

DIYやプログラミング等と違い、ゲームに生産性は一切無い。

「何か残さなければ意味がない」「肉体か精神を鍛え上げる必要がある」

趣味にそういう生産的な部分を求める人にとって、ゲームは趣味に入らない。

以上が、パッと思い付いた「ゲームが無駄と言われる理由」です。

しかし、ゲームは最高に楽しい

しかし、ゲームは最高に楽しい

僕も以前は、何時間もゲームに没頭した後、「一体どれだけの時間を無駄にしたんだろう」と考えることがありました。

 

でも今では、その考え自体が空しいと気付いています。

ゲームは僕にとって、最高の感動体験の一つ
「めちゃくちゃ楽しい」と思えるなら、ハマりこむだけの価値がある。

僕は「自分が幸せになる為」に生きています。
他人の幸せを願う時もそう。
両親の幸福や長生きを願うのも、自分がそれを望んでいるから。

どの欲求も行動も、すべて「自分が幸せになること」に繋がっている
ここに変な生産性は全く関係ありません。

とりあえず楽しめれば良いのです。

「バーチャル」の世界は、一流のクリエイターが作り上げた世界

「バーチャル」の世界は、一流のクリエイターが作り上げた世界

人気FPS「APEX」に登場する「クリプト

「バーチャルの世界に時間を費やすなんて、どうかしてる」への解答。

ゲームの世界は、我々プレイヤーを没入させる為にあらゆる工夫が施されています。
そしてその為には、確かな技術力と素晴らしいアイディアが必要

その分野に特化した有能な大人たちが何人も集まり、議論や試行錯誤を繰り返し、やっとの事でその架空の世界を作り上げているのです。

そしてその素晴らしい世界を、我々はプレイヤーとして堪能している。
真の感動体験を受け取っている。

これは本当に無駄なことでしょうか。

僕はゲームをプレイした後、製作陣への感謝の気持ちで胸がいっぱいに・・・とまでは言いませんが、言いようのない充実感で満たされます。

「レクリエーション」より「アクティビティ」を尊重する人が多数派

「レクリエーション」より「アクティビティ」を尊重する人が多数派

僕は基本的に、一日の行動量は非常に少ないです。
美容院で髪を切ったら、その日他の事はあんまりしたくなりません。

でもたまに、
・午前中に髪を切って、
・カフェでランチを食べて、
・昼に洋服を買って、
・夕方どこかを散歩して、
・どこかの食事処で夕ご飯を食べる
なんて休日を過ごすと、確かに、「充実した一日を過ごしたな」という気持ちになります。

 

そしてこの「充実感」による気持ち良さも確かに分かる

以前芸能人の誰かが、「旅行に行ったら、めちゃくちゃ過密なスケジュールを立てて、早歩きで移動し、可能な限りいろんな観光地を訪れる。そして最後に、“今日は6つも巡ったな”という満足感に浸るのが好き」と言っていました。

その人は「達成感を得たい」という気持ちで旅行するようですが、僕は「今が楽しいか」を優先しています。

僕も旅行に行きますが、興味が無いところへは行かないし、実際に現地に訪れてみて、全く面白くなかったら「全く面白くなかった」と結論付けます。
旅行自体は単なる手段であり、「旅行をしたい」という気持ちで旅行はしません。

・「過去を振り返って満足感に浸りたい」という人 → アクティビティ重視
・「今を楽しみたい」という人 → レクリエーション重視
というような感じでしょうか。

「アクティビティ重視」の方のバイタリティには尊敬する部分もありますが、以前の僕のように、「本当に自分がしたいことをやってる訳では無い」という事態に陥る可能性もあります。訂正:あるのではと思います。

“何が残るか”を意識し過ぎると、人生がつまらなくなる

須崎ふ頭
須崎ふ頭
平和南緑地展望台
平和南緑地展望台

福岡市在住の僕は、福岡市民のほとんどが知らないであろう上記ロケーションに良く行きます。
行く理由は、ただ単に僕がめちゃくちゃ好きな場所だからです。

そこへ行くと、「自分の近くにこんな素晴らしい場所をセットしてくれたなんて、地球はなんて素晴らしいんだ」という、かなりヤバイ発想が生まれてくるくらい満たされます。

僕があまり旅行に行かないのは、これらのロケーションのせいでもあります。
既に非日常感、スリル、満足感を得られる、自分にとって完璧な場所が近隣にあるのに、わざわざ面倒な支度をしてまで人の多い観光地に行く理由が無い。

更に僕は、例のロケーションに行ったとして、「今日もこのステキな場所に来たよ♪」とツイートしたりしないので、完全に一人で完結する。
今では「福岡散歩ブログ | 福岡の”マイナー”を発信するローカルメディア」というメディアを運営しているのでそれなりに撮影もしますが、ぶっちゃけ嫌々やってます。
できれば撮影も何もせず、ぼーっと楽しみたい。

寝る前に、「今日は楽しかったなー」と思う事もありますが、「今日は楽しかったなー」と言いたいが為に一日を作り上げる生活はあまり好きではありません

注意点として、自堕落に陥る可能性がある

 

「今が楽しければいい」を追求すると、ただの自堕落な生活になります。

僕は、
・Youtube登録者数1000人
・ブログメディアのアクセス数一日10000pv
・健康な肉体の維持
等の目標があるのでギリ自堕落になってないと思いますが、「今が楽しければいい」をはき違えると、ただの自堕落、及び犯罪に走るような生活になることもあります。

ここだけ気を付けています。

「ゲームは時間の無駄」という視野が狭い考えは、当の昔に捨てた:まとめ

この記事のまとめ

・「自分の好きなこと」であれば、それが非生産的でも没頭する価値はある

・ゲームは、有能なクリエイターが作り上げた素晴らしい世界。

・「アクティビティ重視」でも人生は楽しい。でも「レクリエーション重視」の人もいる

・「今が楽しい」を履き違えると、自堕落な生活になる(それでも本人が楽しければOKだが)

なんとなく思ったことを、勢いに任せてなんとなく書いてしまいましたが、最後にこれだけは言わせてください。
ゲームにハマり込んだ後、現実が更に美しく感じられる。